2011-02-19

今では日常会話の中で使われる言葉として定着している「空気を読む」という言葉。
これってすごく日本語的で日本人の特性を表してる言葉ですよね。多分この意味や用法を外国人に伝える時ってすごく苦労するんじゃないかと思います。

意味としては大まかに言えば
「その場に流れてる雰囲気を感じて理解しその場に適した言動をする」
といったところでしょうか・・・。

みんな知らず知らずに日常のなかで空気を読んでると思います。会社、学校、家庭、もうコミュニケーション能力として必要な要素にまでなってると思います。

そんな中、昔テレビを見ていたら爆笑問題の太田さんがこんなことを言ってたんですよ

「空気を読むっていう言葉はひょっとしたら差別的ないじめ用語になり得るんじゃないか?」

これ聞いてちょっと共感した自分がいました。

何が言いたいかっていうと、普段の会話のなかで何気なく「お前空気読めよ」って言うけど、それってもしかしたら相手の個性を押しつぶしているのではないか?ということです。大多数が感じてる雰囲気、意見の中で極々少数の異端なものが入ってくると全力で排除しているように感じるんです。おそらく人間の、あるいは日本人の集団的自己防衛本能なのかもしれません。

少数派の人にとって、真剣に考えて言ったことが全力で排除されるとなんか悲しいですよね。
「え、おれなんかおかしなこと言った?」って思ってしまうんですよ。

こんなことを言ってる僕ですが、僕自身はとても空気を読むことに気を使ってしまっています。常に多数派に紛れ込んで自分という存在を守っていたいと思う時さえあります。

今まで小学校、中学、高校、大学と多くの集団生活の中に身を置いてきましたが、どんな場でも他人とは少し違う独特な雰囲気を持った人が必ず一人はいました。そういう人に対して心の中で嫌悪感を抱いてる自分がはっきりといました。きっと僕は心の中で「お前空気読めよ」って言ってたんでしょうね。

なので、僕はなるべく空気を読むという言葉は使わないようにしています。そして空気を読まないようにしています。空気を読まないことって大事だと思うんですよ。雰囲気に流されないで自分の思っていることを言えるのは良いことじゃないですか?

 もちろん場所、状況によっては空気を読む必要もありますけどね。TPOに応じて使い分けられるようにしていきたいです。

以上そんなこんな!!

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